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『気仙の大工』プロフェッショナルパート2-建築職人等

中世に始まり現代まで続く伝統工法「建築職人」工法・人物像を追う

あの時から2年7ヶ月

■ 気仙大工

あの大震災から、今日で2年7ヶ月が経ちました。

モウあの時間が忘れかけてきたと毎日過ごしているが、捗らない復旧工事、高台移転工事と
ヤキモキだったのが、見るに忍びない。

工事も見たくない、昔の震災は「人力」が主だったが、現在は労働者は極力少ない段取り、
「スコップ・ツルハシ」時代が懐かしい、現在の大型化した機械より、復興工事が早かった
ような気がするのである。そして泥臭い人間味の匂いがしたものが懐かしい。

現代は無機質機械だから、復興工事が完了したら被災地の住民が居なくなり、他所人が暮らし
生活と変わるであろうと思えるのです。

ダンプトラックなどは全てと言っていいほど「他県」ナンバー、北は北海道から、南は九州まで
地元は「ダンプトラック」道案内状態である。地元の住民には雇用機会は少ないのが現場である。
今回の大震災は、矢張り途方も無いのが実感である。

法規は完全遵守、あの大きなトラックに「瓦礫」は後ろに付いた車に見えない位である。
盛土もしかり、土の量も決められ大量には絶対詰めない規制である。

ダンプトラックの数には限度が有り、この大震災でトラック生産工場で何ヶ月待ちどと聞く
これでは被災者救援などは「馬の耳に念仏」

北緯39度線「三陸高速道」何時完成?

気仙の辺辺――気仙道(往還沿い)

東日本大震災が、「地域発展化~それとも地域」の疲弊化か、政治家もこの地で生きる人々にも
想像できない。計画実行が俄かにきまり、岩手:宮城の県境より国道45号線への北行き、
最初のインターチェンジが我が家への入り口北行き車線が分岐することに決まり、突貫工事が始まり
周囲山ばかり所に降って沸いてきたようです。果たして上手く行けかどうか・・・・わからない。

(我が家南南西方向の山並みが県境である。)

北緯39052122

先祖から後ろのやまは「茅場」、茅葺屋根の時まで茅が追え茂るところでしたが、震災の復興道路の必要が
痛感したらしく、ハイ決まりました。即起工式となり、用地買収金も未払いで工事が動き出した。
夜の街は千鳥足の景気の酔いお酒が飛ぶように跳んでるとの噂が飛び交い景気が好いのは1部の方々のみのようで。

(写真の所は掘割状の形になるとのことで、盛土材として大型ダンプに積み込み、明日は「マスコミ」が大挙押しかけてお祭り取材となるということで準備大忙し・・・・・・・)

北緯39052114

今日はその前の日であり、全国放送にでもなるそうだ。丸太土砂と活気が国民目に届くでしょう。

北緯39052112

この場所は「仙台の伊達」の殿様往来した「往還道」、昔の人は偉いものだ、忘れられた道路が今度は
高速道として見直されるとは、殿様生きていたらそれ見ろ我々が観たとおりだろうと言って気がする。
もう5.600m北へ行くと一里塚の「老松」の所に石碑が歩るいた名残をのこしている。

北緯39052113

この辺りは先祖等が、針葉樹の苗木栽培で生活を立て、温暖気候のいかして戦後の木材不足の煽りで
今頃の季節は、移植苗木栽培大忙しの季節であったが、外材に押されて今は青色吐息の生産であり、完全なる
家内工業、「猫の目行政」の犠牲地帯でもある。

「近くの山の木で家をつくろう運動」にも一役と思い、国道沿い看板を立ててきましたが。・・・・・・未来が読めません。

北緯39052115

北東方向には陸前高田市の背後の「氷上山」が見え、手前の畑には「杉・松」の苗木が今年も作付けの
準備をまっている。高速道が通ったら賑やかで煩くなるであろう。・・・・人がいなくなるのが心配である。
向こうに見える小高い丘もインターの「のの字」で開通後谷の中を走るようである。

北緯39052111

この風景も来年には、完全に姿消えると予想されるのである。
もちろん、風の通りやで数本の残木がのり風倒木となり、走る車が下敷きにならなければ好いがと心配している。
写真の左下は道路の概要の看板見えて、大型ダンプトラックだけが忙しくて、ウハウハである。

北緯39052118

その場所から南2~300mには被災者の高台移転3戸造成工事と、山の土は色で何処に嫁入りするやら。
高田の市街地の盛土「サルシ」よりは適していると思うが、高田の市街地は最悪の盛り土であはないのかと
考えるが、土だったら何でもよいは後の祭りが心配である。
建物工事の前に、大きな地震(着て貰いたくない??)があると整地も落ち着くであろうが。
土と言う化けものを知っている方ならよいがと思う。仙台大きな団地の盛土の崩壊は見た人でナイト
信じられないのである。盛り土しての高台移転は、2次被害も予想され、行政のトップがどれだけ理解と
国の指導は危険極まりないのが、過去の地震を見たもとしては、アヤ上のである。

素人のアンケートは危険であるのを承知で、回答を求めているが、多勢武勢は怖いの一語・・・・・・
トップはどれだけ勉強しているのか危惧する。2次災害はお断り・・・・・・・・・・・



2年2ヶ月が過ぎ・・・・・長くもありあっと言う間の時間

■ 未来が見えた

時の経つのは早い早い。
関東地方は「5月の節句」の鯉のぼりも終わり、新緑の季節と思う。
東北北部はまだまだ、柏餅には早い、第一柏の葉がまだ蕾である。
気温だって、10度以下の朝も多い、まだまだ春遠からず日々の毎日である。

玄関脇の八手の葉に異変、「雹」の影響であろうと思われるのです。
今またブログ書いている最中にユッリとした振幅の地震です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震度5の揺れと報道されました。・・・・・・・追記

周辺は多くの槌音が響きだし、ダンプの往来も激しくなり、いよいよ復興の動きが目に見えてきました。
我が家から南南西方向の山も大きく削り取られだし、広田湾を跨ぎ小友町に土砂が運ぶと聞きました。

兎に角急な、事態を整理しながら「未来」に向けての歩みに多くの市民、役人は右往左往で個々まできました。
沿岸高速道「三陸道」も協議が解決できたところから買収、山林伐採、関係工事と従来からの積み重ねてとは
違い、「火事場」の何とかまで行かなくっても、突貫工事並行事態に先頭を切る担当者の奮闘は大変である。



先祖還り 01

■ 気仙大工

昨年の暮れより、ドタバタと何所に真ん中があるのかの日々から、大仕事が
片付けて時間が出来ました。

何時かは歩いてみたいと考えていた時間が、エァーポッケトのような日が
出来、取り合えず「先祖・先人」が歩いた道を歩くこうと思い、思ったら吉日。

そそくさとその辺あるもの道具、デジカメを持って家を出る。

兄弟弟子のNO2兄貴が連れ添いを津波で失い、どうしているかと・・・・・
心配で内陸の施設を訪ね。すばらく振りだが、会ったら元気なので一安心。

自分の子供たちは、皆1人前になり天涯孤独の生活、介護をされているとは言い、
矢張り話と、連れ添いが傍に居たようではない。

一人もの生活は本当に寂しいものだとつくづく考える。

宮城0106

高田松原の一本松の心境だろう。前に尋ねた時よりは「絵」を1枚仕上げてあるから、
立ち上がって来たとも思える。
この絵は後で譲ってと約束して、お昼の時間が来たので、また来るねと約束して別れる。

施設の外へでたら、裏山を背に「日本の原風景」が正面に四方
田んぼに囲まれ、静かに佇む、望遠で引き寄せ何枚か写し、矢張り「先人」が手がけた
「入り母屋」民家である。
傍まで行け無いので、暫し眺める恐らく、戦後米を求めて働いたのであろう。
遠くから眺めても「気仙大工」の作に100%間違いあるまい。

遠くから見ても間違いない。「気仙大工」の作はすぐに分ける。幅高さ、屋根の形に
違和感が感じない。
多くの大工職人の足跡を見ることが出来、その建物を「誇り」として暮らしているのにほっとする。

CIMG1029.jpg

岩手県南部から、仙台近郊まで、気仙大工の独壇場である言っても過言ではない。
それを今に大事に伝える生活者に感謝するものである。
遠くから眺めても形のよさからも先人作が、多く見受けられる。

今回の「先祖・先人還り」旅はさい先の良く発見できた。
「桁行き・高さ」屋根傾斜と本当にバランスは傑作な建物である。
先人に有難うを言いたい。・・・・・・・・・・時代が変わってもこの地に精根を
こめた足跡が残るのは、「ものつくり者」として誇りに感じる。

CIMG1030.jpg

この辺にも、「ケバケバ」しい何様が暮らしているのか、漫画本か中央で活躍する
「奇人」、または奇怪な化け物のような、年代を経ると化粧の剥がれた「不美人顔」の
ような建物も多いのは民族崩壊」の走りであろうとも考えると致し方ない。

新幹線が日本の隅ズミまでくるわけが無いのに、テレビと広告の化け物に翻弄された方々の
行く末を思うと悲しい。
生命保険を掛けて見栄を張るくらい「みちのく」は豊かではない。皆錯覚からの勘違いで
あろうと思う。今回の大震災は、中央の連中が儲かりはせよ、東北は首都圏の
肥やしにしかならないと考える。
交通の便から離れた地域にはまだまだ良さが残っているのも、「みちのくである。

宮城0100

仙台の西にも、「和小屋」組の先人作が道路沿いにありました。

「敷き桁・上下梁」組の家があり近くまで行き見学、仙台から「西北」の方角だと思うが、
確かにこの地まで働きに来たのを思うと感無量である。

自動車もあまり内無い時代、依頼を受ければ病まずに来て手がけたあろう建物である。
現代はカラーの「パンフ」で説得されるのと和か訳が違う。多くに建て主依頼者は、聞き、
見ることの信用性で建ててきた証が、現在も残るのであり、口先「3寸」の
ペテン師とはわけが違うのである。
また現代のような数字を使って説得する工法と違い、多くの先人が積み上げてきた工法で
依頼された工法の信用の大きさを感じるものである。

宮城0101

古人等の「工法」は石場建てが基本、何所を吟味するか「和小屋組」を重要とした。
その結果が上(和小屋)を固める方法を編み出したのである。
多少の変化は後日手直しが効くと結う言う方法を編み出したのである。
それが楚石の上に過重がバラバラでもそれを受け止める言う工法である。
現代「学者」は過剰なまでも固めるのが丈夫さに、繋がるという錯覚に陥り、
コンクリートと計算さえ合致されば安全という考えであるから、大震災が
来て大きく痛んだでも「安全」の強烈な押し売りで、誤魔化しているのが現状である。
最後に損をするのは誰かも明白である。

今回の大震災でもこの場所より、東では大被害であるにもかかわらず、
国認めた工法は「安全」だと声を大きくして、誤魔化しているので
ある。


次回は「気仙大工」の、傑物「棟梁花輪喜久蔵」の傑作「定義如来」西方寺本堂など





先人残した「真髄」を見学

■ 気仙大工

宮城先祖帰り

過日、家族の息抜きを兼ねて先人が残した。自然界から家族と「家」を守った民家の見学に訪ねました。

仙台市民の水瓶「釜房湖」(ダム湖)湖畔「ふるさと村」を見学しました。
東北各県からの「移築民家」があります。
国の公園ですから、手入れが行き届き「7棟」の茅葺民家があります。

季節によっては、家族ずれで満員になるとのことで、繁忙期ではなく少し時期を焦らしと
ゆっくりと見学できるとことだと、管理するおばちゃんが話してくれました。

お目当ては宮城県色麻町にありました。2階建て茅葺建物です。
「東日本大震災」前、国の「伝統工法」委員会調査で「山形・庄内」地方からの移動時
立ち寄り、調査時間が夕暮れ時で、急ぎ足で「7棟」を本当に駆け足調査なので、列車の
窓からの景色のような感じで見学したので本当に時間をかけて見ることができませんでした。

宮城1001

乗り込み「門」が1番先に、潜り建物周りを1周し、内部の骨組みの「構造・工法」を眺めたが
柱の根元が石場の上では無く、どの建物も「土台」が廻っているのです。
移築時に「建築基準法」が適用され、法律とおりの工法でありこれは本当の工法ではない
法律による「安全」の為の偽りであるが、これも時代による権力者の越権工法である。

宮城1002

内部骨組みも、「鉄筋ブレース」による補強である。文化財建物は「鉄・鉄骨」補強が強いと
考える「研究者・専門家」も多いのも「建築基準法」という法律にしがみ付く融通の効かない学者が
多いのも致し方ない事実であり、「柔軟性」が伝統工法なのに硬ければ良いとする現代である。

現代人は「偏」が付く事が好きな「民族」に、なりました。
それは「金の切れ目」が縁の切れ目、右を見ても左を見ても、金次第で溢れている。
先人の工法は、「茶道」や数奇屋建築のように、目の前にある素材を生かして来たのだが、
「人・文化」歴史見直しの時代が何時かは来ると信じるものである。
本当に個々の「ふるさと村」を見学して、先人の大きな考えの勉強になる。

この先は「津軽の家」後で・・・・・・・・・・・・・・



被災地を憂い「考え方次第」を教わる

未来が見えた

渡辺 一正 先生より (元 鳥取環境大学教授)

「時間が経ちました。今公開は時間が遅いが、時間を忘れられない檄文。

2011年11月21日 3:07 

陸前高田の町は、3月11日の津波によってほぼ壊滅した。
この町の復興に当って高所への移転が考えられている。
しかし、周囲の山を削って宅地を造るには相当の費用も掛るが、
数年の期間を要する。

これを単に待てば、まちの衰退は、免れ得ない。

まちの形成は、多くの人々が共同する生活活動があって生まれるので、
それが停止すればまちは衰退する。

まちは、産業・生業があってこそ生まれた。陸前高田の主産業は、
やはり漁業と言うべきであろう。
漁業自体は、次第に回復するであろうが、一つの産業を核としたまちでも、
人々が生活するためにはその衣食住を支える様々な産業を必要とし、
各産業もそれを細かにみれば、更に多くの多様な産業によって支えられている。
これらを活性化するためにはまちとしては市場を開設する必要があり、
それがなければ人々の生活はかなり辛いものとなる。

昭和2年に奥丹後地震があったが、その際の復興に携わった工兵隊の報告によれば、
兵隊は先ずは道路の復旧をし、次いで応急仮設住宅を建設したが、僅か4畳半の
バラック仮設住宅であったが、人々はその竣工を待つこともなく入居し、
入居すると間もなく店舗を開店したという。面白いのは、開店された店舗の種類であるが、
第一番目は煙草屋、次いで酒屋、散髪屋、時計屋、ゴム靴屋、写真屋、魚屋という
順序だったという。壊滅的な被害に遭った人々が、やっと応急のバラックに住み着いて
最初に欲しがったのは嗜好品による一瞬の心の落ち着きであったというのは自然なことと言えよう。
これが今日であればどのような業種が求められるかは被災地の特性によるに違いない。

市場には、これらの嗜好品やサービス業も含む必要があるが、どのような業種が求められるかは
現代の地域の生活形態並びに地域の特性によろう。

まちは、多くの場合、複数の企業を抱えて成立している。陸前高田の場合、漁業以外に
酒造業があった。湧水を利用した酒造であったが、今回の地震で水の流れ道が変わり、
水質が変ってしまったので、例え再開しても同じ酒の味は期待できないという。しかし、
それでも酒つくりは、必要であろう。

陸前高田は、隣接するやはり何をするにも鉄道の回復が欲しいかなと思ったが、全く考えられて
いないのはびっくりだった。

市の中央を公園とするのは観光で生きるということだが、通過するだけの観光は財源にならない。
先ず、宿泊施設をつくる必要がある。宿泊施設は採算が難しいと考えられがちだが、先ずは親戚、
次いで知人を招待し、地場産材の需要を高める。
このための定期的なイベントを考えるのではないか?

かつての陸前高田の町並みを偲ぶ会でも良いので、そのような会を連続的に開催し、
来訪者には泊まっていただき総合的に収支を合わせる。同時に陸前高田料理を酒と共につくり、
これを賞味して貰う。宿も当初は自宅を使い、次いで民宿を今ある住宅を使って行う方が良い。
1部屋のゆとりをつくれる家があれば、それを組織する。場合によっては丸太小屋を建てて宿舎に
するという方法もあり得る。

先ずはかつての町並みを出来れば実大サイズ、無理ならば多少縮小したパネルで再現してはどうか?
それを出来ればかつての場所に、出来なければ現市役所、あるいは旧市役所の外壁などを使って、
荒涼感を払拭する、ないしはそこから立ち上がろうとしている努力を示す。市民に必要な市を
開催するのが良いと思うので、先ずは仮店舗を造り、その周囲をパネルで飾るなどが考えられよう。

何といっても図面があるので、その再建に向けて可能なことを最低限の費用で行うのが良い。
和紙に筆で立面図を描き、これをフィルムで耐水化してパネルに貼りつけるなどが考えられよう。

鉄道も駅舎は後でも先ずレールを敷いて、隣町まででも列車が困難なら馬車でも、あるいは
人力車でも走らせるなどは不可能か?レールはできることなら複線とする方が両端に回転部を
設ければ自動運行も可能となるなど安全対策の合理化が可能となり、運行計画が簡単となる。

何でも良いが、ただ待つという姿勢は良くない。ジタバタでも復興を目指して自ら戦っている
姿を示す必要がある。


・・・・・・と、結んだ激励文・・・・・・・・冷静に考える人柄滲んで入る文面に感謝です。



173年前

気仙の辺辺(あたりほとり)

久しぶりにブログです。
家の中の突然も時間と共に平常に戻りつつこの頃、昨日で35日
あっと言うの時間が過ぎていくのを実感した日々です。

今朝の地元紙朝刊一面下、「一本松樹齢は173年」と調査結果詳報が

173年前(西暦1839年・天保10年)江戸時代後期

陸前高田・高田松原の1本松が植林されたと新聞は書いている。
現地は現在復元工事が行われている。
何段階に分解されているので、幹の部分が立つ出している姿が見えます。
上部枝葉がつかないと、「松の木の姿」とは言いません。

色々な方々の思えが雄姿になるのは後数十日とのことです。

奇跡の一本松

被災地の被災者は、自分等が仮設からの脱出を「千秋」の思い出暮らしているも理解して下さい。



消え行く「往還道の標」・仙台への街道追分碑

気仙の辺辺(あたりほとり)

気仙から仙台への三陸高速道が。
「東日本大震災」の恩恵と言うべきか「三陸道」の工事が着手、今日から伐採が始まるとの事。

往還1013

過日、国の道路建設管理者から聞いた。愈愈買収の決まった箇所から「山入れ」だって。
大昔から、仙台への街道(浜街道)通称「往還」が寸断され、「古道」が消え去る日が来る。

我が家の初代が(明治初年)分家する時、分領戴いた所は「菅野家」の大本家の直ぐ上の側だと
聞いていたが、初代はその意に反して、生活の便利さを考え、その上を通る往還道の側で良いとの事で
街道の側を戴き、昭和46年現在地に住まいを建てるまで、棲んだところが「往還道」の側だった。

往還1001

なぜその場所選んだか、先年亡くなった伯父の話では、徒歩が主な街道だったが道幅が広く、「鰯」など
煮て 干し場に利用できると考えたとのことである。なるほど庭の広さがない分、街道を歩く人人の通行の
妨げにならなければ良いと考えたようです。

往還1003

又、それは街道行く方々が、干し煮干を掴んで食べ食べも歩いたものだとも思いえるのである。
自分らも 中学校帰り道、干し場の通ると鞄に煮干を詰め込んで食べ食べ歩いたのを思い出し、
時代が変っても 人の考えは変らないものだと思う。
綺麗ごとではない。食わなきゃならないのは何時の時代も同じである。

往還1004

追分の場所は昔の我が家から100mくらいなので、餓鬼の自分は広い遊び場でもあり、現在のような
杉林も少なく、広葉樹の森が大半、針葉樹は少なく、薪が主で現在のように暗い森などは無かった。
戦後の住宅不足が植林を国家事業として推進され、欲深い政策により推進されたのである。

往還1007

昭和20年代は杉の値段も高く、30年代初頭、大本家が茅葺屋根から、瓦葺に屋根替えしたときなどは
建前の宴会で叔父などは、目の前の立ち木1本売れば鱈腹酒が飲めると豪語したものであり、現実に
親父などは、足下がフラツキ翌日まで2日酔いしていたのを、子供ながら記憶にある。
そして良き時代でもあった。

往還1005

写真は気仙沼~仙台方面などで、反対に松の坂峠を下り「追分」碑を過ぎると「今泉」まで約1時間は
掛からずの距離であり、旅人は息を注いだであろうと思う。この街道にも色々話があり、大工・左官等が
出稼ぎ先に向かう道でもあり、帰る道でもある。「松の坂」峠を越えるまでは、女房などは砥石や持てる
ものを携さえ、峠を越え「青の沢川」「繋峠」と鹿折の田平(でんたいら)まで送ったと聞いている。

往還1011

書くと長くなるが、何れ「追分碑」を何処に安置するのか、平成8年に元教員高田町住んでいた.故宗宮
参冶郎先生の尽力で再興設置されたが、沢水を引くため堀返していた時にツルハシの先が石にあたり、
そのまま 避けていたのが雨風にさらされ、文字が浮かび上がり、我が家の庭先に30年以上
放置していたところ 宗宮先生の目に留まり、陸前高田市教育委員会に掛け合い今の場所に
吸い付けたのである。
今この石碑が元の場所にあるのは宗宮先生の奔走の結果であり、亡き先生のためにも、この街道沿いのしかる場所にすいつけて欲しいものである。私利私欲の売名で変な場所に移動するべきではないと考える。



新政権「いか」様師か?それとも本物か?

節・節

昨年12月政権復帰した迷いの「旧政権」、年末「大花火」が派手ですね。

イカが取れると豊漁だと言いますが、どうも胡散臭い匂いも漂い・・・・怖い感じと思う。
イカがわしいとも思う。

イカは透明な肌をしているが、煮ると赤くなる性質あり、申し越し火を通さないと
やばいのではないかと考える。

生干し、してしっかり乾き、酒の摘みに最高であるが。
干干に幹得たのを、炭火燻り、「藁憮槌」で柔掻くなるまで叩き細かく冴えて食べたら最高である。

然し、前政権みたいに、「エロハ」知らない蛸か、イカか判らない輩よりは「道」を間違わなければ
ければ好いが、先祖代々続く血脈には裏があり、近寄り方のもあり。
ドンナ干しイカになるか??????―――――本物なら、「藁憮槌次第とも考える。途は
叩き方次第である。柔らかくなれば好いが、隣を如何説得するか楽しみだ。70年前の再燃はお断り。

本物の「イカ」であって欲しいものだ。



ダニ 「デァー九(大工)」

節・節

2011年大震災から2年目の歳が終わる。

振り返ると早い月日である。

あの大震災直後に起きたことを記録しておく、そうしないと「善意」を持って支援された
方々に申し開きが出来ない上、忘れ去られる。
全国の「木」関係した多くの善意の仲間と関係者の行為が、になる。

3.11から完全に通信が途絶え、完全に闇夜の生活、目に見えるは数メトートル 先だけである。
「NPO緑の列島ネットワーク」に所属していた関係で理事長大江忍氏へ、
伝えるのを思い出し、行方不明の娘の亭主が、震災翌日には瓦礫を掻き分け、泥だらけになって
帰ってきたので、様子を聞くもなく非情で会ったが、内陸の通信が可能であると踏んで、
一の関まで行って連絡してくれとお願いした。

序でに油が無いので、ポリ缶集め、弟と2人で買出しに出して結果を待った。
兎に角連絡できない。行方不明者が多く、皆顔を見ると、どうにもならない。

町には徒歩のみと、午後の時間帯にだから何処で被災したのか読めない。もうどうにも
考えられない、しかし顔見ると切ない、自分のことしか考えられないのが、手に取るように判る
本当にどうする事も出来ない自分に腹が立つ、以後不眠不休での生活が続く、山のような仕事が
一気に来たのである。他人の遣る姿を傍観していたほうが楽である。飛んだ狭間に入って
しまった。身から出た錆である。何でコンナ立場になったのと自問自答である。

その状態が、ギブアップになるまで続く、1番辛かったのは、携帯が使えずが1番効いた。

飛び飛びだが、頭痛で倒れるのが目の前まで来た。兎に角頭が痛い、幸い「浜松」からの救急医師団が
側の長部小学校まで来ていた。(緊急ではお世話に成りました)応援戴き往診、薬を分けて戴き、
服用したが改善されなえ、その内に何処からとも無く、連絡無しで、大工の応援1人が来た。
何処かの集会で逢った気がする。それこそ地獄で「観音様」会ったようだったと記憶している。

しかし後で考えたら、これは飛んだ食わせ者だと気がついた。後の祭りである。
被災地を食う飛んでも無い輩だった。何をしたのか全然足跡がない。
以前の方は社長が同行して来て、棟梁が現場を休ませての応援に馳せ参じた。社長には此方も
大変世話に成っているものだら、口頭の指図で段取り良く仕事をこなしてくれて助かった。

東京で1人で頑張る、親方と後で聞いたが、「木の家ネット」の所属、ネットが最初の緊急
支援では可なり奮闘したとも後で聞いたが、2週間以上いる内に何をしたのか、家族から聞いたら、
被災地案内以外、作業はらしきことは全然した様子がないと言われた、飛んだ食わせ者である。
自分の仕事繋ぎに、来たのが本音であろう。何の連絡無しで来ると言うのだから、果たして気仙に
何にしに着たのか今だ不明である。

当方も「木の家ネット」関係だと信用したのが大間違い。組織運営者の指図でも
ないようだが判ったのが、この頃である。此方も能天気の阿呆である。

毎日被災地と、当方の現場や、引き渡した住宅を、「かかあ」に案内せよと言いつけて
4月25日の月曜日、救急車で病院何か胡散臭いと病院のベッドで考えたが思い出せない。

まあ、工務店経営している方だから、生前説で考え2週間で退院となり、そうしたらその日に
引き揚げ「東京」に帰るとの事、勝手に来て、何の相談もなく帰る・・・・・・・・・
凄いかただ、要請しないで来て、こちらの退院がわかると帰る。勝手にしたら。
その後帰るや否や、飛んでもない請求書が送られてきた、直後「電話」で恫喝に近い形での内容
気仙の親分を張っていて、金を早くの請求である。チンピラ人間の遣ることである。

誰も要請しないのに、訪れ、飯は丼、風呂は1時間以上洗濯機使い放題、家族にも関係ない
振る舞いに、退院後家族に、日日の行為、案内となんで お願いしたのと攻められて本当に
参ったのである。これでは被災地を「ダニ」である。被災地は皆落ち着かない時に来た。

「ダニ~ダニ」以外の何者でもない。・・・・・・踏んだり蹴ったりとはこのことである。
金銭的支援された金品は、「ダニ ーデァー九」に全て支払いました。ははははとは
個の異なり
これは「義捐金・支援金」搾取だ。働いた後も見えない。・・・・・・

「木の家ネット」の親友にそのことを話したら、ブログでばらせと憤慨された。
このような東京人が多いのは知っていたが、コンナに酷いはもう切れたね。

その事と、不眠不休までして被災地を考えて行動したが、何点か被災地を理解しない輩に
脱会しかないと考え、大江忍氏には伝えてないが、理由の原因はそのことが一番になったのである。

連絡無しに来て、何も足跡の見えない輩に、請求通りに金を払うほうもアホである。

まあこれから、被災地の顛末を書いて残し、それをしないと今後このような震災が発生した後が
心配である。それで無くとも被災地を理解しない人間が多いのも、色々な時に話題になる。
多くの皆様、「月と太陽」の関係は人間界にもあると言う事が今回判りました。

ダニ 「デァー九」(大工)まだ何点か裏話があり、時々公開し「警鐘」をする。「天災から人災」と人を見たら泥棒と思いの例えどおりが現実あるんだね。

その方ホームページを拝見したが、なるほどと感心した。もう2度は無いね。サラバジャ

可笑しな世の中。

e-mail:daikukomachi@smile.email.ne.jp
web : http://www.ne.jp/asahi/daiku/komachi/
つくり手ブログ:http://kinoie-komachi.seesaa.net/

陳家な輩のお笑い

ケセン語

その輩とは、音なしで舞い降りた姑息な考えでした。

不眠不休での被災者支援でした。

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プロフィール

kanteru

Author:kanteru
終戦直前生まれの大工が
誤解・間違いの現行、「建築基準法」伝統工法に異議唱えるる大工です。「新板蔵つくりの家〜気仙大工槌蔵の家」の商標登録を取りました。貫と貫の間に、槌でがっちりと叩き込んだ板を落とし込んで壁をつくる大変丈夫な、気仙に伝わる本格伝統構造です。秋田県立木材高度加工研究所の実験では、壁倍率4倍までいきました。

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