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野島が消えた・・・・続編

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昨年5月31日http://http://kesennodaiku.blog.fc2.com/blog-date-201105-0.html

通信回線がママ成らずの時点でブログを書きました。
漸くブログにたどりつきましたが、写真掲載や長い記事を掲載は光通信が
正常に成ってから出ないと無理なのでしばらくはギリギリで掲載しましたが。
現時点であった。以後は体の変調で調子が悪くその流れが今でも引き吊り
困っているが、昨日「埼玉県久喜市和田工芸和田社長様」からお電話を戴き
漸く元気な菅野のブログを読まれたと電話があり、何とかしなくては発墳下です。

2011.05.31
このときは本当に大変、通信回線が復旧しない中、ドコモ携帯WA-FI通信であり
上手く回線に乗り繋がるか心配しました。



第1波津波・・・・・・

野島の岩肌が消えた

何時もの島の風景です。
第一回最高潮位、対岸石垣が引き波に・・・・・・・
次回は拡大します。この後恐ろしい風景・・・・引き波が嗚呼
15時20分であったと記憶。

縄文遺跡+貝塚

1千年に一度あるかないかないかの大津波。
スパンが長いと人は「間」を忘れるのだと気がついたのです。

我が家海抜35mの丘の上、歴史学先生(施主)に我が家の手前20m付近の畑の角に
「10数年位」前、道路建設時に貝がたくさん出た、正月年始祝いに訪ねてきた。
その貝を見て、昔、貝塚があったのだと教えられた。
その時の話では陸前高田市内の貝塚は標高30m付近にあったとも聞かされた。

野島の岩肌が見えない。普段の野島は後日と書きましたが




そうすると「縄文」時代あたりからこの付近に人が棲みか構えていたのだと
想像がつく、当時人類も水辺の近くに住んでいたのだと解る。危ない所に住む現代人より危険察知が早い古代人らしい生活であり。今回大津波で疑問が解けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
島の頂上の松の根元まで海水が上昇したのです。

それが今度挽く時は野島の海底の底まで見えるでは有りませんか。
大きな風呂桶の水が引けた後です。普段とは想像が付かない天変地変でありとても
考えあっれません。




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