■ 気仙大工

気仙大工の「門」

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お寺の山門

大工初め色々職人世界でも、新しい世界に入る時には「入門」して潜るのですが、
大学でも、有名な東大には「赤門」江戸時代加賀藩(現石川県)屋敷の入り口として
作られたのはご存知でしょう。社寺皆、山門、総門、大門など数多くの名称で存在している。ましては修行のために入る。

俗世界から神仏の世界に結界が山門でしょう。

先人が作った門を紹介します。

気仙のお寺の中では大きい方のお寺として、大船渡市日頃市町に浄土真宗「片杉山 長安寺」山門は建設時に大きな出来事がありました。

花輪0003長安寺門

寛政10年(1798年)小友村(現 陸前高田市小友町)大工松山の五郎吉が造営した総欅造りの大楼門。当時仙台藩(伊達藩)から御留木の欅を使用した廉により取り壊しを命じられたが、「欅ではなく槻の木である」との機知に富む郭念坊秀締の弁明により、「以後手を加えてはならない」との条件付で許され「袖なし・潜りなしの山門」となった。

花輪0009定義

現在 宮城県仙台市青葉区の寺院(通称 定義山)極楽山 西方寺山門

 昭和7年に気仙郡綾里村(現在の岩手県大船渡市三陸町綾里)の花輪喜久蔵が設計、施工した大楼門。棟梁花輪伝吉、脇棟梁花輪伝五郎、彫師石井寅正らの手による山門は、昭和2年に完成した本堂(鞘堂)とともに花輪翁の会心の作であり、昭和期における名建築の一つである。彼らの合言葉は「瑞巌寺に負けるな」だった。

別の機会に工事中写真等も紹介できればと考えております。

先人棟梁名
今から213年前の棟梁
大工 松山(地名)の五郎吉
1932年代
棟梁花輪伝吉、脇棟梁花輪伝五郎、彫師石井寅正

時代比較は不要だが当時の時代を思うと良くやれたものです。




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