気仙大工

歴史の流れ

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先人の多くの積み重ねがあって、今があるのです。

古くは中世に始まったとも言われ、現在までの調査では文献が少ないという事が致命的であり、何処かにそれは隠れていると思われるが、平成23年「三陸大津波」が更に消失に拍車がかかったのである。

そして、現 東北工業大学教授 高橋恒夫を先生の功績が一番大きいと思う。

紹介本3冊



右~発行S56年~S57年~H5年に発行された

奇遇なのは、高橋恒夫教授 平山憲治氏が、時期を同じくして研究が始まったのは、偶然である。
地元、大工出身の郷土史・大工研究家、平山憲治氏の調査研究が、昭和50年初め頃に出版した「気仙大工」単行本が詳しく記されているのが、それ以前は岩手大学教授川本忠平先生の「気仙大工出稼ぎ」を記したレポートである。戦後でて来た資料とは極少まれだった。

また、時期を同じくして、当時の昭和50年半ば、文部省が3年間掛けて地域発掘を行なうということで、全国7大学の優れた先生方らが「気仙大工」の出身地調査として、気仙町の「かねも旅館」(気仙川姉歯橋の東の橋袂にあった木流し宿)ベースに、大挙訪ねて連泊しながら「気仙」を調査され、まとめ上げた資料が「東京大学」等で、調査発表され、マスコミの報道によって大きく耳目を集める事になったのである。

以後、全国各地に先人の足跡が数多く発見され、掘れば掘るほど無限に近い状態である。腕とは恐ろしいものである。「職人」の腕1本と心意気が多くのファンを獲得したのも事実、特に宮城県(旧伊達藩)には多くの建物が現存されている。考えられるのは技術の優秀さを認めた「米」どころの「大地主」らのネットワークで大きな人気を博したと思われるのである。勿論現在でも気仙大工の流れを汲むと広告母体で広告する。大工・工務店の多さもその名残の続きでもある。果たして正統化は別として、住まい手を誑かしとしてまで使用されることは絶対の信用である。が其の言葉の意味の判断は、注文者が最終であり、地元では己が「気仙大工」という名は使用しない。その言葉で依頼する方は、無いに等しい。

戦後までは、石を投げると「大工か壁屋(左官)」にあたると言われるくらい多かったのも事実、第2次世界大戦後の都市復興で、俄か「大工・左官」生まれ、年の暮から春先まで、職業安定所の付近には「失業給付」受ける職人で、街は大いに潤ったのである。
楽して暮らし現況を作ったのも国策、復興しなけれならなかったのも当時時世でもあり、職人が堕落の始まりでもあった。

余談だが、今回の「東日本大震災」でも方向を間違うと被災者の「楽して暮らし」の再現なら無い事を願う。
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